ところで支点力点作用点の間に格差というものは存在するのだろうか?グーチョキパーやポケモン御三家の間にも有利な相手と不利な相手が共存している状態にある。名前の響きの良さ故にいつしかズッ友状態になった支点力点作用点にも有利な相手と不利の相手が存在するのかについて考察していきたいと思う。言い忘れてたけど今回の記事はクソ回なので忙しいのであれば見ないことを推奨する。いや本当は忙しい時間を割いてまでも見てくれよと思ってるけど。あと根拠もクソもない考察を見ることになるので悪しからず。

 まずは支点と力点の関係から。これは個人的には支点に軍配が上がると考えている。力点は力を入れることで存在をなしているが、支点あらずして力点は存在できないと思う。てこの原理を見てみる。例えば、床の上に板を置いて力を入れても板にはなんの変化ももたらされないが、ちょっと出っ張ったところの上に板を置いて力を入れると、板は力のままに傾くという変化がもたらされる。したがって支点と力点の間では、視点の方が上の立場にいるということになるだろう。

 次に力点と作用点だ。これも力点には非常に申し訳ないが、作用点の方が立場的に有利だと考えさせていただく。個人的には力点は作用点の前座でしかないと考えている。箱を指で動かす時、箱を押す力(力点)によって箱が動き出す(作用点)のであれば、力点は作用点による行動の結果を果たすための前座にしかなれてないのではなかろうか。これは例えば、芸能人と裏方の関係に似ている。裏方は芸能人を活躍させるために、スケジュール管理やメイク、台本制作やドラマ、番組のセット作り、さらには車の送り迎えなどの仕事をこなしている。しかし裏方にスポットライトが当たることはなく、その裏方の努力を享受した芸能人にしか当たらない。それは力点の必至の努力を享受してるだけで結果をもたらしている作用点の関係と一致しているのではなかろうか。そう考えてみたら、作用点を際立たせるために日々努力を怠らない力点の方が偉い気がしてきた。前言撤回させていただく。作用点よりも力点の方が上だ。最後は努力をしてきた方が偉いのだ。ただ力点に縋って美味しい思いしかしない作用点とはわけがちがう。

 最後に支点と作用点について考えてみる。これに関しては本当に比較が難しい。なぜなら力点が存在しないからだ。力点が存在しないと支点も作用点もまともに機能しようがない。シーソーがあったとしても誰も乗っていなければピクリとも動かないため、ここで動くきっかけをもたらす力点が必要になってくるのだ。今まで散々足で使ってきた裏方もいなくなったらどうすればいいかわからない芸能人にとってこれは致命傷だろう。裏方に優しく接している人たちにとっても致命傷だ。ただし、その中でも支点は、てこを支えるための固定点として確固たる存在をなしていると思う。そうした点から、私は支点が作用点よりも優っていると考えている。力点が裏方、作用点が芸能人だとしたら、支点は芸能事務所と考えていいだろう。

 以上の結果から、支点>力点と作用点、力点>作用点という結果になった。0勝2敗だった作用点は地団駄踏んで「なんで私があいつらよりも下なのよ!」と怒鳴り散らしている。アドバイスさせてもらうのであれば、もっと普段から自分のことを支えてくれている芸能事務所と、自分のために陰で努力をしている裏方をもっと大事に扱うべきだ。自分は気の利いた言葉を言えたり演技が上手だったりでなんでもできると思っているかもしてないが、彼らがいないと自分の身の回りのタスクを自分一人で請け負わなければならなくなるだろう。そこまでも自分できちんとこなせるのであればもう何もいうことはない。ただできないのであれば、それができる裏方や芸能事務所を感謝し、労うべきではないだろうか。もし自分の周りに誰もいなくなって反省したとしてももう遅い。その時に彼らが戻ってくる保証なんて一切ない。だから今こそ自分の存在意義を見つめ直して、自分が不足していると思った箇所を周りに助けもらったり克服したりして自分が思う理想像より素敵な存在に近づいていってほしいと思っている。

 作用点にこの想いが伝わるかどうかはわからない。第一こんな初め縦のペーペーのブロガーの意見が作用点の耳に入る可能性なんてゼロに等しい。でもとにかく信じて意見を出し続けることによって変わる世論もあるのではないだろうか。自分が書いたことが誰かに取り上げられてそこから自分の意見が反映されることを願って、今日も画面越しに意見する。

p.s.作用点さん、あなたの他人の話さいてまで自分の話するのマジで勘弁してください。共演者へのディ   スリスペクトですよ。