まだ外は暑く長袖なんて着ていられないという時にふとトンボは今何をしているかについて考えた。今は九月で自分の感覚では秋と言える月ではないかと感じてはいるものの、九月を夏であるという意見も否定できない。子供の時に見たカレンダーを思い返すと九月の文字の周りにはうさぎがいる満月やさつまいもや栗といった秋の旬の食べ物が囲っていたと思う。いずれ日本は夏と冬の二季だけになるという話をよく聞くが、今のこの肌を刺す暑さを鑑みてみると、いずれどころか今まさに二季の時代にあるのではないかと感じてしまう。
個人的には「八月でこんなに暑いんじゃ十二月はもっと暑くなるんでしょうね」という漫才師の定番のボケがボケではなくなる時代が現れるのかもしれない。そしてそういった時代が自分が生きているうちにきたらどうなるのだろうかと考えている。どうかその時は自分は暑さに鈍くなって汗を流すほどの代謝もない老人になっていることを願う。いや、願わくばそういった時代が来ることなく天寿を全うできればいい。
どうせならば暑い日よりも寒い日の方が365日の中で多くあって欲しいと思う。新陳代謝が高い自分にとって汗をかきすぎない環境というのが今を生きる自分にとって必要なものである。
ともかく、暑い日なのにトンボのことを考えたのは、九月になって「トンボが飛び交う秋の季節」が訪れたのだと思ったからである。自分が子供の頃に無数のトンボが交尾をしながら飛び交う姿を鮮明に覚えている。確かあの時はサッカーをやっていた気がするけど、生で見た交尾に衝撃してしまいサッカーに集中できなかった。あれは正式には交尾ではなくただオスがメスを掴んで飛んでいるだけらしいが自分は大人になった今でもこれは交尾としか見えない。ただ、そういった光景も将来見れなくなると思うと侘しさを感じる。
今を生きる子供たちは是が非でもトンボが連なる光景を目に焼き付けてほしいと思う。なぜならこれが「すべての生物に当てはまる生物としての美しさ」であるからだ。オスが自分の意思(ここでは遺伝子というべきか)を後世に残すために必死になってメスに縋り付く、これがほとんどの生物の共通点であると感じる。これではオスが情けない生き物だと感じてしまうだろうが、思い返してみれば男は女に振り向いてもらうためにお金を稼ぎ身なりを整える。なぜそこまでして女に振り向いて欲しいのか、それは根底にオスのミッションである「自分の遺伝子を後世に残す」という行為を果たそうとしているからではないかと推測する。自分も女に振り向いてもらうためにジムに通っている。姉二人は完全に子供を作ることを放棄する的な発言をしていたため、自分が子供を残せないと一族が詰むことになる。自分も本心では結婚したらそのまま奥さんと二人きりで生き続けたいと思うのだが遺伝子を後世に残すために今すべきことに躍起になっている。
生物の美しさには見た目も重視されるが考えこそが本当に重視されるべきことではないかと感じている。トンボのあれも見てくれはハッスルブラザーズでしかないが彼らの信念を汲み取れば本当に今ある状況を必死に生きる様に感激するはずだろう。