実はもう一週間前に誕生日を迎えて21歳になっていた。その間にこのブログの活動はすっぽり頭から抜けてしまったため、本当に断片的な記憶になってしまうのだが、だいぶ運がいいなと思える誕生日だったと思う。

 そもそも私の誕生日は家族に覚えられずらい。というのも4月は家族にとって入学式やその他諸々の重大なイベントがあるので私の誕生日は言われないとすっぽ抜かしてしまうというのだ。その話を親に言われたときはマジかよこの親と思っていたのだが、実際大人サイドになって4月を迎えてみると、確かに大人にとって4月はあらゆる事象の転換期となっており、自然と周りを取り巻く環境も忙しくなっていき自分もそれに合わせてせかせかするのも当然に思えてきたのだ。いやそれでも自分の誕生日はずっと頭の片隅に置いていたので忘れるのはやはりおかしいと感じる。

 話は戻るが、私は誕生日は何か買い物をしようと思い授業を終えたらすぐさま池袋に向かった。そこで何を買おうか迷っていたのだが、ふとみると池袋という都心のど真ん中に「焼肉きんぐ」があるではないか。私は子供の時は本当にお世話になったし、ここは第二の実家だと本気で思っていた。しかし東京に出てみると家からきんぐまではだいぶ遠く、一番近い場所であっても、駅から数十分歩かないといけない場所にあったため自発的に何度も行こうという気にどうしてもなれなかった。そんなきんぐが池袋駅から徒歩数分にあるのは本当に奇跡としか思えない。そこは二月からオープンしてたらしいのだが、自分はそういった情報は全く知らなかったので、興奮のあまりその件を家族LINEで報告した。

 その後迷わずキングに直行しプレミアムコースを選択。そこから百分間ノンストップで肉を食べることができた。今まではラストオーダー30分前にはもう胃に一ミリも隙間がなかったのだが、あの時は百分間満腹感を感じることなく体感的には腹八分目という感じで退店することができた。今思えば、あまり米を食べていなかったから肉を多く食べられたのだろう。米を抜こうが抜かまいがどうせ腹一杯になるという認識が完全に変わったのも良からぬ収穫だった。実際今日もきんぐにいって、米を多めに摂取したのだが、ラストオーダー20分前にはもう何も食えなくなっていた。やはり焼肉を多めに食いたければ米はそれなりに抜けということを無意識的に知れたのも個人的には小さな嬉しさだった。

 そして会計の際にも小さな幸福があった。私は前にいる奥様方の会計を待っていた。そして彼らが会計を終えたら、なんと彼らが使っていたクーポンを私に「どうぞ」と渡してきたのだ。私は数秒フリーズしてお礼を言えなかった。これ本当に使えるのかと心配していたが、ちゃんと使えたのを確認して、奥様方に深々とお礼をした。あのクーポンは期間限定で何回も利用できる10%オフのクーポンだったらしいのだが、私は流石に申し訳なさを感じて、クーポンを利用したらすぐに奥様方に返した。なので私は実質消費税を払うことなく焼肉を食べられたということになる。多分これが誕生日の幸せのピークだったと思う。

 他にもたまに行くショッピングモールに自分の好物であるえびが安く売られてたりバイトが休みだったりと自分にとって幸せなことが続いて今までの人生の中でもだいぶ充実した誕生日になったと思う。自分は誕生日というバフがかかっており、通常の自分よりも運といった属性が強化されているからだと思う。流石に誕生日ぐらい人を幸せにしてあげないといずれ崩壊を招くことを神様が知っているからだろう。誕生日でも不幸な人間なんて聞いたことがない。まああるとすれば私の周りで単位を落としまくって留年が確定した友人は誕生日の時でも将来の不安を感じているかも知れない。

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