昨日歯医者に行って右下の歯を治療してもらった。虫歯を除去する際は、歯茎あたりに麻酔を打つはずだが、私はそういうことを一切予測していなかった。なので「麻酔打ちますよ」と言われた時は若干動揺したが、特にそれと言っていたいとは思わなかった。
高校生の時、初めて歯茎に麻酔を打たれそうになった時も、心の中ではかなり動揺した気がするが、体で全力で拒絶するみたいなことはしなかった。医療機関が使ってるものだし、もし痛すぎる場合は先生側からかなり厳重に忠告を受けるはずだから、先生に信頼を寄せることができたのだろう。
しかし、不思議なことに治療が終わって最後に先生に「次も麻酔打って治療しますよ」という宣告を受けた時は、その間かなり怖かった。勉強してる時もゲームしてる時も動画見てる時も頭のどこか片隅に「また歯茎に麻酔打たれるのか。というかなんで歯茎に針を刺すんだよ。歯茎って柔らかいし歯にとってデリケートゾーンなはずだろ。そこになんでわざわざ傷つけるような真似をするんだよ。」みたいな恐怖や愚痴を感じながら生きていた。
こうした感じで、人は一旦その痛みを食らってから次まで放置されると異常な恐怖心に駆られるのではないかと思うようになった。その痛みを現時点で耐えられても次もあると知ってしまったらまたあの痛みを味わうことになると感じてしまうと、次に行こうと思っても足が重くなる。ならばずっと健康的に過ごせばいいと思うかもしれないが、人は必ずしも健康的に生きれるとは限らない。健康的でも急に病気にかかることは普通に起こる。なので私は、多少の痛みなんてすぐ忘れてしまう方がいいという結論に至った。歯茎麻酔もくらってみればだいぶ痛いが、記憶してしまえばその痛みが倍増してしまう恐れがあるので、完全に痛みを忘れてしまおう。そうすればあー痛いくらいで済まされると思う。
でもなぜか筋トレだけは痛みをいくら記憶していても続けてしまう。むしろ最近は筋肉痛が来ない方がおかしいと感じるまでになった。筋トレは痛いからこそ効果があると思い、体に痛みが走れば、この痛みは筋肉痛だと脳が記憶している。マッチョな人間が他の人たちよりも違う理由がわかってきたし、自分もそうなっていくのだなと多少恐怖を感じている。