この世で最も魅惑的で無自覚に手を取ってしまうものが一体何かを考えてみたら、スーパーに並んでいるケーキやシュークリームといった生菓子だと思う。チョコパイやシルベーヌみたいな常温の甘いお菓子ではなく、要冷蔵の方だ。もちろんチョコパイとかもいいのだけど、ちょっと値段が変わるだけで大幅にグレードが上がるお菓子というのは、ケーキくらいだと思う。

 ケーキ屋の方が満足しないかと聞かれると、それはもちろん味や完成度に関してはケーキ屋の圧勝だと思う。ただケーキ屋のケーキというのは、職人が懸命に見た目にまでこだわって作った芸術作品というイメージが私の中にあるので、それを崩してしまったらその作品を破壊してしまうのではないかという申し訳なさが出てしまう。流石にそこまで考えてしまうのは私だけだとは思うが、そういったことを考えると、特に職人の思い入れとかはなく、工場で生産されて無機質な個包装に入っているケーキの方が、私は無心でバクバク食べられる。

 それは不二家やコージーコーナーみたいなチェーン店のケーキでも同じことが言える。重要なのは、そこまで人の手がかかっているか否かである。たとえチェーン店のケーキ屋であっても、ケーキ作りには多くの工程やこだわりがあり、どうしても人の手がないとあの完成度にたどり着かない領域であると思う。その点スーパー生菓子はどうだろうか。お菓子の製造はほとんど機械がやってくれて、人間はその機械の管理と微調整とプラスアルファいった作業が主だろう。

 それに家に帰る途中にケーキ屋のケーキを転んで落としてぐちゃぐちゃにしてしまった時、あなたは静かな怒りに燃えたり、でもそれは自分しか悪くないという思いやりきれない気持ちになったりするだろう。しかしスーパー生菓子だったらたとえ同様のケースがあっても、精神的なダメージはケーキ屋の時よりも大幅に低くなるはずだ。「まあまた買えばいいか」みたいな心意気でずるずる引き摺ることもないだろう。そういった点で、私はケーキ屋よりもスーパーのケーキを買う頻度が高い。

 スイーツは、美味しいけど味だけでなく見た目までもよくみられようと努力する風潮がある。高いスイーツ=見た目も美しいというイメージがある。

 スイーツの世界大会でも、味よりも見た目によって評価が大いに変わる。今年のクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー(顕著あるスイーツの大会)での作品を見ていても、飴細工やチョコレート細工などを駆使して、とにかく見た目を華やかにして審査員に繊細かつ大胆な印象を与えていた。確かにすごいけれど、そこに味を最優先事項にしているかと言われたら、それはわからない。多分私がその大会に出て、ただひたすら味にのみこだわり、特になんの飾りのないガトーショコラみたいなものを出しても、普通に最下位になるのだろう(元々あの大会はスイーツの芸術度を競う大会であるかもしれない)。そこまでスイーツというものは、ただ美味しいものではなく嗜好品、ひいては芸術作品という領域にまで至った。

 私がそんな捻くれた考えを持つようになったのは、私が普段から崇拝している田辺智加先生にある。私はスイーツが大好きだし、田辺先生のスイーツ情報を定期的に見ている。そこに出てくるスイーツというのが、本当にスイーツ自体で選んでいるんだろうなという代物がほとんどなのだ。ブログのスイーツの感想を見てみると、田辺先生はあまり見た目に関して言及していないように思える。もちろん田辺先生にも、スイーツを芸術に見立てている描写はあるのだが、先生は主にスイーツは「味や食感」を大事にしているのだろうと思える描写の方が多い。

 インスタ女子が投稿するスイーツというのは、映えを重視するためにどう考えても美味しくないだろうという色の綿菓子やケーキが多く見られる。おそらく彼女等は「スイーツとかーそんなんどーでもいーからとにかくかわいいアタシを見れ!!」という思いしかなく、スイーツの味等をフォロワーに教える気などないのだろう。別にそれは決して悪いことではない。人より目立つのがインスタグラマーの役割であることはわかっている。ただ、そのスイーツを一口も食べずに捨ててるというのなら話は別だ。

 しかし先生はスイーツの味や食感を中心として伝えて、読者に本当に食べてほしいという強い気持ちが画面越しでも伝わってくる。先生はスイーツに対する果てしない愛情を自分たちにも共有してくださる貴重な存在なのだ。私は先生のそういう思いと、パフェの食レポをNGにしている理由とに感銘を受けた。そこから私は先生を私淑していき、自然とスイーツは味や食感が大事という考えに至ったのである。

 そんな田辺先生も、作り手に対する敬意というのは尊重すべきと思っているらしく、一つ一つをお茶と共に丁寧に味わって食べているそうだ。だからもしも先生がスイーツを持って帰宅中にこけてスイーツをぐちゃぐちゃにしてしまった時のショックと絶望感は私なんかよりも計り知れないものだろう。おそらく三日三晩は寝込むほどだ。

 ともかく、「作り手に敬意を表して大事に食べる」というのは非常に素晴らしい考えで、私もそんな捻くれた考えを昇華させて純粋にスイーツを楽しめる人間になりたい。