私が普段から利用しているスーパーからさらに遠く離れたスーパーに行くのが好きだ。そこまでの距離はいつも利用するスーパーから30分ほど離れた先にあるもので、品揃えも豊富で店内の内装も小綺麗で気に入っている。そこでは普段のスーパーでは手に入らないような肉や魚が手に入るので願わくば毎日いきたいものなのだが、いかんせん距離があまりにも遠いので行く気力が湧かない。月に二、三回ほどの頻度でしかお世話にならない。たまには豪勢にいこうとしてあのスーパーに行こうとするも、距離と時間を鑑みてしまいやっぱりいつものスーパーでいいかと気が変わってしまう。

 そんな遠くて便利なスーパーに今日行ったのだが、不思議と前よりも距離感が短くなっている気がした。それは体感では20分ほどでついたかと錯覚するほどだった。最初に行った時よりもいつ着くんだよという絶望感を一切感じることなくスーパーにつくことができたのだ。イヤホンで音楽を聴いていたからかと思っていたが、それは最初から、というか普段から移動中にイヤホンから何か音がないと気が済まないような人間なのでそれが要因ではないようだ。

 これは自分が自宅からスーパーまでの距離に慣れてきたからではないかと思う。思えば私は最初、小学校に行く前に、家から学校まで15分ほどかかると告げられた時は本当に絶望した記憶がある。今までバスでゆったりとしながら幼稚園へ通っていた自分からしたら、15分も足を動かしたら人間は数日間は足が機能しなくなると本気で思っていた。でも登下校していくうちに、15分の徒歩くらいは何も感じなくなった。

 中学生になって、中学校までの距離が30分ほどだと知った時は、15分ですらギリだったのにそこからさらに15分も歩かなければならないってどういうことだと心の中で憤慨した覚えがある。しかしそれも慣れていくうちになんとも感じなくなった。 

 高校生の時も、高校までの距離が1時間だと知った時はもう本当に絶望した。こんな長距離をほぼ毎日移動するのであればいつか本当に体をぶっ壊すと思っていたが、みなさんお察しの通り、その距離も次第に慣れていった。

 そして大学生になった現在、家から大学までおよそ1時間ほどの距離を徒歩で移動している。家から大学までの距離と推定到着時間を知った時は、「まあ高校の時よりかは距離短いし歩きでいいか」という気概でいた。もうここまで来ると家から学校までの距離でクヨクヨ文句を垂れるフェーズなどというものは存在しなくなる。たまに電車は利用するが、今でも徒歩移動を継続できているのは、前よりも心身ともに成長できている証と言えるだろう。

 でも学校は毎日行くものだから短期的になれるものであって、たまにいくお気に入りのスーパーは本当にたまにしかいかないから慣れるまでにはかなりの時間がかかるだろう。今日で体感20分になったから、次に行くときは体感が15分になっているか、それともあまりにも行かなすぎて体感が25分と増えてしまっているのではないかの二択である。

 ただ、いつものスーパーの満足度を100とした時、あのスーパーの満足度はいくつか考えてみたところ、110くらいで、30分ほどの時間をその10の満足度で埋め合わせできているかどうかで言われたら、確実にできていないと言える。だから今後は30分の時間を取り、あのスーパーの利用を停止することに決めた。そもそもあのスーパー、品揃えが多すぎて余計な買い物をしてしまうから全然お金が貯まらないという致命的な欠点がある。累計で7回くらいしか利用したことがなかったけど、いい思い出にはなりました。今までありがとう、家からとても遠いスーパー、お元気で。