三日前から首を寝違えてしまい首から激痛が走り続けている。少し首を動かしただけで数秒間思考が停止するレベルの激痛だ。その痛みをかれこれ三日間味わっているのだからもう耐えられない。それだけじゃない。同じく三日前に階段を降りようとしたら足を滑らせてしまい両膝が硬い床に直撃した。そこから三日間右膝はえぐめの擦り傷、左膝は打撲を喰らってしまった。上半身と下半身が両方とも致命傷を負ってしまっているという地獄のような状況を現在進行形で味わっている。

 首が痛いと本当に生活が不便だ。目が覚めて首がまだ痛いと発覚した瞬間、今日の自分は最悪な人生だと思ってしまう。その絶望感というのは、ぎっくり腰や筋肉痛とはわけがちがう。首の痛みなんて人生において何も良いことがない。個人的にはぎっくり腰よりも首の痛みの方が痛みの度合いが桁違いだと思っている。足も座ったり立ったりした瞬間に激痛が走り、もはや触っただけでも泣き出しそうなくらいの激痛が走る。だからこの三日間は最低最悪な人生を補うために暴飲暴食に走ってしまった。とにかく上下に不備があればこんなにも人間は堕落してしまうから本当に普段から気をつけて行動してほしい。

 足は着実に治ってきており、もう気にしない程度なのだが、首は一向に治る気配すら感じない。というか感覚的に段々と痛みが増してきてないかとすら思う。

 こういう時には約10時間ほど睡眠するに限る。子供の時は病気になったらすぐに寝なさいと言われても寝る気が起きなかったが、今となってはどうして寝るべきかよくわかる。病気のなおるスピードが早くなるのもそうだが、何よりも、寝てる間だけは、体に走る激痛や熱を感じずにいることができるからだ。今も痛い痛いと言いながらブログを書いている間も、寝て仕舞えばなんの痛みを感じなくなる。

 たとえ眠くなかったとしても首の痛みから逃れるために必死に眠りにつこうとする。さもなければ自分は首と足の激痛を抱えたまま生活することになるぞと自分に脅しをかけて眠らせようとした。

 かつて水木しげる氏が「睡眠をしている間は人は生きることができる。睡眠力こそが幸福力である。」的なことを言っていたのを思い出した。今の状況にいる自分にとっては、この発言が深く刺さる。本当に寝ている間だけ自分は生きている心地を感じるし目が覚めた瞬間首の激痛地獄が始まる。生物にとっての平穏というのは睡眠中の夢にこそ存在するのではないかとも思う。痛みから逃れられて疲れも取ることができる睡眠こそが人類にとっての幸福だと思う。人がストレスが溜まりやすいのは睡眠不足が原因と言われているので、眠いと思った瞬間に寝る体制に入るべきだと思う。

 まあそんなことがあってしばらくブログの更新が途絶えていた。本当はブログなんて書きたくないし書いている暇があったらさっさとベッドで眠りにつきたいと思っているのだが、もうしばらくの間ブログの更新をサボっていたため、自分がブログの存在すら忘れてしまわないために必死に書いた。まあ書こうと思えばこのように書けるのだが、シンプルにブログを書きたくない理由を首と足が痛いからという理由で逃げていた。別にこの間も普通にバイトに行っていたわけだし。ブログを書ける時間も普通にスマホで動画見てたわけだし。普通にブログ書けたけど言い訳を作ってしまいました。本当にごめんなさい。


 それにしても依然として首が痛い。あまりの痛さにネックピローと寿司をを衝動買いしてしまった。ネックピローはもちろん2度と寝違えを起こさないための防止グッズと買ったのだが、寿司は単純に食べたいから買った。昨日はバイトを残業したのでその分ご褒美を上げているのだ。

 あと新しい靴を買うのも忘れずに。自分がこけた時の靴の裏を見て仰天した。ほとんど平面になっているくらいに摩耗していた。こんな靴では転けるのも無理はない。四半期に一回は靴を新調した方がいいだろう。