運が良ければ私の家のベランダから富士山が見える。富士山は私よりも規則正しくルーティンを遂行できて偉いなあなんて時々思っている。決して動くことなく、朝方になると他の家や木々をものともしない圧倒的な存在感を放つ日本の象徴。私はそれを朝方になればいつでも見れるというメリットを持っている。文化遺産が私の家のベランダから簡単に見せてくれるのはあまりにもサービスが良すぎないかと思っている。お触りNGなのはあんまりだが、青々とした山にかき氷の練乳のようにかかっている白い雪のコントラストは自然の奇跡ではないかと思う。あるいは、ガストのビーフシテューソースのオムライスやアフォガードといった類のものではないだろうか。

他にも富士山は、真っ青な空に溶け込んでいないのも素晴らしい点だと思っている。富士山の青よりも、空の青の方が私の視界を圧倒的に埋め尽くすものである。それでも富士山は私の視点を彼に寄せることができるほどに存在感、威圧感を放つ。雲隠れしていても、その先に富士山はあるし一生私を避けることはないだろうという信頼感まで彼には持ち合わせている。その時点で青い物ランキングでは、富士山は空に大幅にリードをしている。
他の山々に連なっているのもいい。他の山々に失礼になってしまうが、彼らが私の故郷の山と同じような見た目をしていることで、なおさら富士山の異常性を際立たせている。緑は基本的に寒色でも暖色でもない中性色という位置付けである。中性色が生い茂っている山々に突如、寒色の青い山が現れた時の山々達の衝撃度は計り知れないものだっただろう。時にはあまりの異端さに陰口を叩く山だっていたはずだし、頻繁にノートや靴を隠されたり、ドッジボールの時は明らかに狙われていたはずだ。それでも大衆の反発に折れなかった富士山だったからこそ、今も日本の象徴として、おおらかな表情で我々の生活を見守っているのだと私は思っている。今日まで人知れず頑張って生きてくれてありがとう富士山。
今日は6時起き。6時間睡眠だが不思議と眠くはない。これから眠気が蓄積されるのが怖くてたまらないが、0時になるまでにはその眠気が愛おしく思えるのだろう。明日も晴れて富士ちゃんに会えることを願って、今日も眠気を溜めていく。